ズボラ主婦の覚書

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私が専業主婦になったわけ

こんにちは。hanaです。

 

この記事で200記事目を迎えたので、自分語りとかしてみようかと思います。いつも誰が興味あんねん!って思ってあまり自分語りはしていない…そして身バレを恐れているので(警察に追われているとかではなく、夫にブログをしていることを言っていないから)記事の中で少し入れる程度にしているのですが、200記事目だしやっちゃおう!

実は宇宙兄弟シリーズでは結構語ったりしているんだけどね。興味のある方はこちらへ▶︎『宇宙兄弟』から学ぶ子育て術3+ブロガーの心得 - ズボラ主婦の覚書

今回はガッツリ語ります。お付き合いくださいませ。

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私が専業主婦になったわけ

バリキャリの母

私の母は今で言うバリキャリです。まだ私の子どもの頃は共働き夫婦自体が少なくて、周りもお母さんは専業主婦か仕事をしていてもパートの人が多かったです。そんな時代に母は専門職、フルタイムで朝から夜遅くまで働いていました。父もそれなりの会社の会社員ですが、母曰く働かないとやっていけなかったそう。←これに関しては?です。私が見る限り父の給料でもやっていけないことはないし、ただ仕事が好き、頑張る自分が好きなんだと思います。母は底抜けに明るく、よく飲み、よく食べ、自分にも他人にも厳しい人です。友達も多いけれど、割と何でもこなせるので人に頼るのが下手です。

誰しも良くも悪くも母親にはかなりの影響を受けると思うのですが、自分が母親になると余計にその影響が出てきます。

私の母は私が数ヶ月のときから私を保育園に預け仕事復帰。私は乳幼児期のほとんどの時間を保育園で過ごしました。教育のプロの元、そしてたくさんの友達のもとで幼少期を過ごし楽しかったです。母がいなくても何でも自分でできるようになっていったので、その点もよかったと思っています。私が専業主婦をしている今でも母親が働いて保育園に通わせるということに何ら抵抗がないのは、自分が保育園で育ったことが大きいです。家庭で育てるのにも、保育園に通わせるのにもメリット、デメリットはあるし、どんな理想的な育児をしても子どもは理想的には育たないし、子どもは親から離れて勝手に育っていくものだと思っています。

 

私は第一子の長女で兄弟はいるのですが、やはり母が家にいないことはすごく寂しかったです。保育園ではいつもお迎えは最後でしたし、小学校では学童に行き、その後も鍵っ子でした。でもそんな寂しさは見せてはいけないという長女気質から上手に母には甘えられず、今でも何となく母とは距離があります。母親が嫌いとかではなく、ただ性格が合わないのです。(どちらかというと父の方が性格は合います。)

自分が母になって余計に分かった子育てをしながら働く母の大変さも十分過ぎるほど分かりますし(今ほど制度も整っていなかったので更に大変だったかと)、母が働いてくれたおかげで進学の費用は気にせずに自分の行きたい道を選べたことは兄弟共々本当に感謝しています。両親はいつも私のやりたいという気持ちを優先してくれました。

 

ただそんな両親に感謝しながらも子どもの頃の寂しさは埋まらなかったようで、もし結婚したら専業主婦になりたいというのは中学生くらいからずっと思っていました。

 

就職

地元を離れ関西の大学に進学、就職しました。就いた仕事は自分のミスが自分の会社だけでなく、お客さんの会社の信頼を落とすというとても神経を使う仕事でした。自分が望んだ仕事だったにもかかわらず、毎日神経をすり減らし数年経ってある程度ひと通りの仕事ができるようななったときには、仕事に行くのが憂鬱になっていました。そして身体もだるくなってきて神経内科で薬(安定剤)を処方してもらうようになりました。薬を飲めばある程度気持ちも持ち直すことができ、仕事も休まずに行っていました。退職するまで皆勤賞でした…そんなことが当たり前の職場。私もバリキャリの母を見て育ったので、それが当たり前だと思っていたし辞めたいと思いながらも普通の顔をして働いていました。(周りからはすごくかわいがってもらえたし、退職後の今でもお付き合いのある方もたくさんいます。)

 

結婚

そして長年交際していた夫との結婚が決まり仕事をどうするかということになりました。交際が長かったこともあり二人の時間は充分に持てたので、二人とも叶うことならすぐに子どもが欲しいと思っていました。ただ私が使っていた薬は妊娠禁忌薬で、子どもを望むのなら飲むのをやめなければならない薬でした。私は心も疲れはてていたし夫と相談し、仕事を辞めることにしました。この決断を快く受け入れてくれた夫には感謝しかありません。もし自分だったら将来の不安もあるし(給料も同じくらいもらっていたし)とりあえず働いてほしいと言ったと思います。

 

自分のための子育て

その後結婚して夫の勤務地の神戸に引越し、子どもを授かりました。最初は自分は専業主婦で立派に子育てをするんだという、自分が母にしてもらえなかったことを母への復讐かのように一生懸命こなしていた気がします。だけどその考え方でうまくいくはずもなく、いろんな本を読んだ中で(元々読書好きです)その考えを改めるきっかけとなる本にいくつか出会いました(長くなるのでまた別に紹介します。いつも書く書く詐欺…本を読み直す時間も、ブログを書く時間も睡魔が邪魔をする←寝るの大好き。幸せ。)。

「好きなこと」だけして生きていく。

「好きなこと」だけして生きていく。

 

 

(文庫)神さまとのおしゃべり (サンマーク文庫)

(文庫)神さまとのおしゃべり (サンマーク文庫)

 

この辺りです。スピリチュアル好き!

 

そして今は子どもたちを育てながら、小さい頃の自分も同時に育てているような感覚です。子どもに掛けた言葉は自分が言ってほしかった言葉だなとか、自分がしてほしかったように子どもたちをたくさん抱きしめるとか…子どもたちのためにしているようで本当は自分を癒すためにしているという何とも自己中な子育てをしています。意識低い系ズボラ主婦だし。笑

そういうわけで私は他のお母さんたちのように子どものために…という考えはあまりなくて、子どもを育てることで自分も育てている(ここでは成長しているという意味ではなく)のかな。

だから私は今専業主婦でいるという選択をしています。幸い私は元々料理が好きなので、ご飯作りは楽しいです。育った環境や一人暮らしが長く一人でご飯を食べる寂しさを知っているから余計に、家族で囲む食卓の暖かさが好きなのかもしれません(でも我が家も全員で食べられるのは休日だけですが)。ただ料理以外の家事は全然好きじゃないです。

これから今後働きたくなって働くかもしれませんが、今の子どもたちと過ごすこの時間は自分のために必要な時間だと思っています。

 

こう書くと母がしてくれなかった…という点が強調されてしまうのですが、母から愛情はたくさんもらいました。(そして私が自ら望んで専業主婦を選択したという話であり、決してバリキャリの子どもは寂しいということを言いたいわけではありません!自分の立場を正当化するために、自分とは逆の立場の人を批判する(専業主婦vsワーママとか…)のはお門違いだと思っています)。

母は忙しい中でもおいしいご飯を作ってくれたし、行きたい場所には連れて行ってくれたし、進路を決めるときにも全面的に応援してくれました。一人暮らしを始めるといろんな物(時にはなぜ?と思うもの)を詰めて送ってくれたり、結婚するときも私の選んだ人だから大丈夫と即OK(父も)してくれたり。性格が違うのでいろいろとぶつかることもありますが、母の底抜けに明るい性格はたぶん遺伝していると思います。笑

 

これから

こんなわけで専業主婦になった私ですが、今は特に専業主婦にこだわっている訳ではありません。おそらく子どもたちと過ごしたこの4年間でだいぶ小さい頃の自分自身も癒されたのだと思います。

下の子が幼稚園に行くようになれば自分の時間がまた増えますし、自分のやりたいこともたくさんあるのでいろんな挑戦をしていきたいと思っています!このブログもそんな挑戦の一環です…とか言いながらサボり気味。

 

今回は「私が専業主婦になったわけ」でした。うわぁ。めっちゃ語ってしまった。でもこの記事を書いたことでごちゃごちゃしていた頭の中がスッキリしました。

実はこの記事ずっと前から書いていたのですがなかなか筆(指だけど)が進まず、また私がこの記事を書くことで不快な思いをする人がいるかもしれないと思うとなかなか公開するのに勇気がいりました。

だけどもっと大きなお子様をお持ちのお姉様ブロガーさんたちとのやり取りの中で、もしかしたら自分がこの記事を発信することできちんと今の自分と向き合うことができるのではないか?と考えました。そしてもし私と同じ様な立場にいる人が、少しでも気持ちが楽になればいいなと思います。

何とも個人的なことにお付き合いいただきありがとうございました!

 

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100記事目の記事。読み直したけれど100記事目から何も変わっていなかった。でも赤字ではなくなった!成長!

 

 

このシリーズも書く書く詐欺だ。笑

 

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最後まで読んでくれてありがとう♪

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