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ズボラ主婦の育児と家事をつづるブログ

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哀しみの中から繋がる絆〜阪神淡路大震災、東日本大震災から子どもたちに伝えたいこと〜

投稿日:2018年1月17日 追記:2018年3月11日

こんにちは。hanaです。

2018年3月11日。東日本大震災から7年。

今日は家族4人で朝ごはんを食べて、ダラダラ過ごす夫に少しイラッとして、いたずらする子どもたちを叱り、バタバタと家事をこなし、家族で夜ご飯を食べ、子どもたちを寝かしつけ…と何てことのない1日を過ごしました。普段と何も変わらない日常がただただありがたい。

私の命だっていつどうなるかは分からない。だから自分も周りの人も大切に…強い心を持って、小さなしあわせ運べるように。

2018年1月17日に投稿した記事を再掲します。

2018年1月17日で阪神淡路大震災から23年がたちました。私の住む神戸の学校や幼稚園などでは震災で亡くなった方々を想い黙祷をしたり震災についての学習をしています。我が子の幼稚園でも黙祷を捧げ、「しあわせ運べるように」を歌い、震災について学習をしてきたようです。


私は関西の出身ではないので阪神淡路大震災の経験はしていません。阪神淡路大震災のときには、学校から避難所で生活している子どもたちへ、手紙と家にある文房具をみんなで送った記憶があります。
ここ神戸に住んでいると、周りの被災した方々からその日の様子を聞くこともあります。

東日本大震災が起こった年、私は関西で働いていました。そのとき私の会社は東日本大震災への義援金を募っていて、私はその集計の業務をしていました。そのときにはたくさんの義援金が集まりました。
家中の貯金箱を持って来てくれたおばあちゃんもいました。そのおばあちゃんは阪神淡路大震災の被災者とのことでした。たくさんの小銭で集計にかなり時間がかかったのですが、全部で10万円近くありました。担当者がおばあちゃんにそのことを伝えると、涙を流されて「阪神淡路大震災のときにたくさんの人に助けてもらったので、やっとそのときの恩返しができる」と言われたそうです。

震災の日に亡くなった方々を想う、被害の大きさを伝える、また防災についての学習をするというのはとても大切なことです。ただ、それだけでなくそんな大変な中でもみんなが助け合えたこと、何十年にも渡ってその絆がどこかで繋がっていること、そんなことを縁があって神戸で産まれた我が子たちには伝えていきたいものです。

最後に「しあわせ運べるように」の歌詞を載せて終わります。(しあわせ運べるようには2005年に3番が作られ、我が子の幼稚園でも3番まで歌っています)




「しあわせ運べるように」
作詞・作曲 臼井 真

1.地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

2.地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

3.地震から10年苦しい事ものりこえ
当り前のようにすぎていく 毎日を大切に生きて行こう

これからの神戸を 僕たちが支えてゆこう
次は僕らが支えて行く 神戸の街を

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように



今日も読んでくれてありがとう♪

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